わたしはわたしでしかない
わたしはわたしでしかない、という事実に時たま絶望することがある。
わたしの記憶の限り、わたしはわたしの延長線上をひたすらに生きている。
一番幼き日の記憶はいつだったか。
石ころに絵の具で色をつけ喜んでいた自分。
特定の友人としか遊ばず、周囲の大人たちを困惑させた自分。
得意の一輪車を乗り回し、調子に乗ってうさぎだよ~ぴょんぴょんと手で耳を作りながら乗っていたら、盛大にこけて大泣きした自分。
柄にもなく児童会長になり全校生徒の前で話すも、声が小さいとヤジを飛ばされる自分。
音楽と出会い、心を動かされ、ひたすらに追い続けた自分。
どれもこれもわたしのことだ。
これでもかというくらいの思い出と、もう引き出すことのできない記憶が山積みで、途方に暮れる。
自分のものだけでも持ちきれないのに、街ですれ違う人それぞれに忘れられない記憶と、もう思い出されることのない記憶があるのかと思うと、その果てしなさにクラクラする。
これまで起きたこと。
これから起こること。
死ぬまでの間、わたしはこの先も膨大な思い出を抱えて生きていくのだろう。
死ぬ間際にはもう思い出せないことばかりかもしれない。
だからこそ。
忘れたくない気持ちは脳内といういい加減なクロークに預けるのはやめよう。
風化させてしまうことは簡単だけれど、一度風化してしまったものはもう元には戻らない。大切な気持ちは、その時に、その時の空気ごと閉じ込めなければならない。
昨日チャットモンチーが完結し、わたしの人生の第1ステージも完結を迎えた。
つまり今日は、わたしの人生の第2ステージのはじまりである。
このはじまりを機に、自己満足以外にどんな意味があるのかもわからないけれど、これからの日々をきちんと記録しようと思う。
そうすることが、わたしのこれからの人生に繋がっていく気がする。
これからのわたしに、乞うご期待。
(写真は今日訪れた眉山山頂からの景色。空が広く、とてもきれいだった。)