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こぼれる愛 どうかそのままで

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大人になってきているな、と感じる瞬間がある。
今まで嫌いだった食べ物を食べられるようになったとき。一人でタクシーに乗れるようになったとき。友達と人生の核心に迫るような話ができるようになったとき。
けれど一番実感するのは、「これ、高校生のときに聴いたらハマっただろうな」という音楽と出会うときだ。
そう思うということは、いまのわたしでは好きになれない、ということでもある。
なぜなのか、と問われるととても難しいのだけれど、ただ心が動かないという事実だけがそこにある。
サブスクの登場によって、今まででは到底聴けなかった数の音楽と出会えるようになった。
毎週リリースされる聴ききれないほどたくさんの音楽を聴く中で、なるほど世の中にはこんな素敵な音楽があったのか、と感動することもある。けれど、その後に何度も聴くような音楽と出会うことは、これだけ選択肢が多くなったいまだからこそ、とても難しい。

火曜日はカネコアヤノのワンマンショーだった。
彼女の気合いが入っているのはこのライブが発表されたときからひしひしと感じていたし、だからこそものすごく期待していた。
そして当日。わたしが観たのは、その期待を大きく上回る、嘘みたいにカッコよくて、心が震えて、どうしようもなく彼女への愛があふれてしまう演奏だった。

一曲目、「アーケード」のじゃがじゃーん!で幕を開けた瞬間。
カネコアヤノのライブのすごいところは二つあって、その内の一つはこれは良いとか悪いとか、そういうのを考える隙もなく、脳に音と言葉が直撃するところだ。
血が駆け巡るよりも速いスピードで身体の中が音楽でいっぱいになって、スーパーマリオでスターを取ったときみたいな、ああいう無敵な状態になる。これ以上もう何もいらない、これ以上のものはなにもないと、考えるより前に、わかってしまう。もうこれは反射みたいなもので、あのコードを聴いた瞬間に、今までどこにあったんだ、というくらいのエネルギーが自分の中から湧いてきて、ああ、わたしここに生きている!と実感する。
勝負の日にだけしている目元のキラキラメイクがとても似合っていたし、超楽しみにしてたぞ〜!という彼女の気持ちが歌に溢れ出ていて、一曲目の時点で、今日はものすごい夜になることを確信した。

続いて「天使とスーパーカー」や「ロマンス宣言」「とがる」など、これまでのライブでは後半に演奏されることが多かった曲が続き、いつもとは違う攻めに攻めたセットリストにどきどきしていた。

カネコアヤノのライブのすごいところのもう一つは、曲によってその性質が全く違うところだ。東南アジアやインドのタクシーみたいな、ビュンビュンに飛ばしてどこまでも行ってしまえるような曲がある反面、窓の外の生活音しか聞こえないような部屋の片隅で、一対一で静かに向き合うような曲がある。
両極端のようだけれど、どちらも全力でやってくれるから、安心して音に身を委ねることができるのかもしれない。

歌を聴いていて、自分のために歌われている、と感じることはあるだろうか。
わたしはあまりそう感じることはないのだけれど、この日はそう思わざるを得ない、自分のために歌われた歌がそこにあった。
彼女がまっすぐに、音楽に乗せて気持ちを届けてくれているのがとてもよくわかって、その気持ちに応えたくてわたしもまっすぐ彼女の歌を聴いた。
林さんのギターとカネコアヤノの歌のみで構成されていた、「わかりやすい愛 丈夫なからだ」はその中でも顕著な例だったのだけれど、彼女が一つひとつの言葉を大切に届けてくれていることがよくわかったし、あたかも自分一人に話しかけられているような、そんな気持ちになった。
そういう気持ちのやりとりが、きっとあの会場にいた人の分だけあって、だからこそあれだけのライブを作り出せたのだと思う。

その後もMCなしで次々に披露される一曲一曲は、自分の中でどれもとても大切な曲になっていて、どんな音も言葉も、聴き漏らさないよう向き合うことに真剣だった。
周りの人たちも多分同じような気持ちで、各々好きなように楽しみながらも、彼女の歌への愛が溢れていることがとてもよくわかって、嬉しい気持ちになった。これまで何度もライブに足を運んでいるけれど、「恋しい日々」での " 冷たいレモンと炭酸のやつ! " の合唱は今までで一番だったように思う。

あっという間に迎えた本編最後は、新曲「愛のままを」。今の彼女の心情を如実に表現した曲だ。
歌詞の一節に " みんなには恥ずかしくて言えはしないけど お守りみたいな言葉があって "
" あなたには恥ずかしくて 言えはしないけど お守りみたいだ 振り絞った言葉は "
とあるのだけれど、この歌詞こそがリスナーと彼女の関係性を象徴しているように思う。
彼女にとって、リスナーは「みんな」ではなく、「あなた」であり、対大勢に歌っているのではなく、あくまで対個人に歌っている。
そして彼女が聴かせてくれるのは、恥ずかしくて、普段であれば人には言えないような、ありのままの言葉だ。
人に伝える、という恥ずかしさを乗り越えて、まっすぐ目を見て歌ってくれるから、リスナーも同じように自分の気持ちをさらけ出すことができるし、普段着ている社会性だとか同調性だとか、そういう重たい鎧を自然と脱いで、裸の心で向き合うことができる。
" できるだけ 愛のままを返すね " と歌う彼女の顔があまりに切実で、大好きな人からラヴ・レターを貰えたような気持ちになり、胸がいっぱいになるってこういうことなんだ、と滲む視界の中実感した。

アンコールは「さよーならあなた」で、それが終わっても冷めやらぬ客席にダブルアンコールとして出てきてくれたけれど、もうやることがないと言って挨拶がてらピックをたくさん投げていた。
やることがないということは、今できる全てのことを出し切ったということだから、すごく潔くていいなと思ったし、わたしもこれ以上望むものなど何もない、と思った。それくらい、全部を見せてくれたし届けてくれたと思う。


これから先、嬉しいことも、楽しいことも、このまま時が止まればいいのになあ、と思うことはたくさんあるだろう。
その反対に、あまり起きないことを祈るけど、かなしいことやムカつくこと、やりきれないこともきっとたくさんあるだろう。
そういう、ほんの少し、頑張らないといけないとき。
そういうときに、大丈夫、やっていける、と思えるような、味方になってくれる音楽を自分の中に持っていること。
そういうお守りみたいな存在があるだけで、案外やっていけたりするものなのかな、と最近思っている。

「朝になって夢からさめて」という曲の一節に、
" あなたと出会ってしまったね "という歌詞がある。
これだけのたくさんの音楽で溢れている今、あなたと出会ってしまったこと。
同じ時代を生き、こうしてライブに足を運ぶことができること。
わたしはあなたと出会えて、そして、大人になって好きになれるものが減ってしまった今、ここまで大好きになれたことが、何よりとても嬉しい。
そしてこういうとんでもなく最高の一日があるからこそ、なんでもない日々を生きていく意味を見出せるのだと思う。

カネコアヤノさん、そして最高のバンドメンバーの皆様。
素晴らしく確信的な夜を、ありがとうございました。
この原石は、どこまでビカビカに光るだろうか。
これから先、もっとものすごい景色を一緒に見ることを楽しみにしています。


追記
曲順はかなりあいまいですが、当日のセットリストをプレイリストにしました。
(+でサブスクには上がっていませんが「春」、「どこかちょっと」、「布と皮膚」、「明け方」を演奏しておりました)
よろしければ是非。
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