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「いっぴき」を読んだ

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いっぴきを読んだ。

文筆家である高橋久美子さんが書いたエッセイ集。

高橋久美子さんは言わずもがな、わたしが敬愛するチャットモンチーの元ドラマーでもある。

 


元々わたしはくみこん(久美子さん、と呼ぶのはなんだか気恥ずかしいのでくみこんと表記します)の書く詞がとても好きだった。

 


チャットモンチーの歌詞は3人それぞれの個性が光っている。

中でもくみこんの詞はユーモアがあって素直で、それでいてロマンチックなのに、曲を聴いていてどうしても心に引っかかって外れない言葉がたくさんあった。

(例えば「愛捨てた」の一節、"こんなに悲しい夜でさえ やっぱりおなかは空くのだから 私はまだ人を好きになるのでしょう"。おなかが空くことと、恋愛をこうも絡めて表現出来る人が他にいるでしょうか。)

だからそんなくみこんの節目となるこの本を手に取るのはごく自然なことだった。

 


くみこんがドラマーから言葉を扱う専門家として、チャットモンチーの2人は音楽家として、それぞれの道を歩いてきた。

それがこの6年間だった。

 
わたしはどちらも応援してきた、つもりだ。

チャットモンチーの新曲がリリースされるたびにCDを手に取り、ライブに足を運び。

くみこんの作詞ワークショップに参加したり、ヒトノユメの展示を観に行ったり。

 
すごく刺激的だった。

それぞれの道をがむしゃらに歩いてゆく彼女たちは、進む道は違えど常にわたしの憧れであり目標であった。

 

一方でわたしはといえば、中学生の時からロッキング・オンの大ファンで、将来はジャパンの編集者になりたいと思っていた。それがわたしの目標であり、夢であった。
けれど年齢を重ね、思考や趣味が変わり、わたしの純粋な想いは徐々に濁っていった。


濁っていることには気付いたけれど、しばらくは気付かないふりをしていた。

気付いているのを認めることは、過去に夢見た自分のまっすぐな気持ちを裏切ることのように思えたからだ。

けれどわたしの気持ちは何故だか夢から乖離してゆくばかりで、どうすべきなのかわからなかった。


自分の気持ちに迷いがある中、受けた入社試験は落ちた。当然だと思った。

けれどそれを受け入れられない自分もいた。この胸の痛みはなんなのか、もう考えることも嫌だった。


悩んだ末に結論は出なかったけれど、コンテンツに関わりたい気持ちだけはあったので、印刷会社に入社した。もう3年目になる。

けれど働いていて感じる違和感が、日に日に大きくなっていき、わたしの首を絞めてゆく。

 
今のままでいいのか。

本当にやりたいことは、もっと他にあるんじゃないか。


そんな気持ちを抱えつつ、けれど具体的に何をしたら良いのかわからなくて、苦しい時間を過ごしていた。

そんな中、この本を読んだ。

 

なーんだ。夢は変わってもいいんだ。

純粋にそう思えた。

 
これまで夢を、国語の教師、ミュージシャン、文筆家と変化させてきたくみこんの背中を見てきたのに、なんで気付けなかったんだろう。

チャットモンチー高橋久美子から、もうとっくに文筆家となっていたくみこんの生み出した言葉たちは、わたしの中に渦巻いていた膿のようなものをすっきり洗い流してくれた。

 

 

これまで、自分の文章なんてありきたりなのだから、あえて発信する意味なんてない、と思い込んでいた。

音楽に関する知識も生半可なのだから、わたしは何も言うべきではないと信じていた。

 

けれど、それは大きな間違いだった。


言葉を好きな気持ち。音楽を好きな気持ち。


自分の中で揺るがない、大切なものを無視してきたことが、これまで感じていた日々の違和感であり、わたしの体内を右往左往している言葉と気持ちは、ずっと外に出ることを望んでいたのだとこの本を読んで気付いた。

 

この気持ち、なにかかたちにしてみよう。

まだ、わたしは、何にでもなれる。

 

これまでチャットモンチーの曲に背中を押されることばかりだったけれど、また押されてしまったな。

 

いっぴきに出会えてよかった。

 

 

おまけのはなし


いっぴきの中に、くみこんの東京でのチャットモンチーラストライブ(テレ朝のドリームフェスという多くのアーティストが出演するイベントでした)で、くみこんの父がB’zのウルトラソウルの最中呑気にトイレに行っていた、という話があった。

あの時のウルトラソウルといえば。ページをめくる中、記憶の扉が大きく開く感覚があった。うわああ。


当時高校生だったわたしは、最終の新幹線で実家のある群馬に帰らなければならなかった。

泣く泣くB’zのウルトラソウル真っ只中に席を立ち、アリーナの出口へと向かったところ、見覚えのある大好きな人がいた。

当時わたしがハマりにハマっていた9mm Parabellum Bulletのドラマー、かみじょうさんが1人、B’zを眺めていたのだ。

 
数秒迷った末、若気の至りか、事もあろうにウルトラソウル中に話しかけ握手してもらった。今思うと本当に最悪で最低なファンである。


よりによって、ウルトラソウル。

なんで、わざわざ、今。

 
あの時、くみこんの父より呑気だったのは他でもないわたしでした。

かみじょうさん、その節は、本当にすみませんでした。