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新幹線の話

前に新幹線で殺傷事件が起きたとき、とてもこわかった。
それは自分が新幹線に乗った時にそういう人と出会うかもしれない、というこわさではなくて、自分も自分の意識がないところで、もしかしたらそういうことをしてしまうかもしれない、と思ったからだ。

別に意識がなくなる持病を持っているとか、殺傷願望があるとか、そういうことではない。
自分がいつそういう風になるかもわからないし、確かなことなんて何もないから、その頼りなさに恐れを感じていた。
一方当時の周りの人たちはみな、自分が被害者になったら、ということばかりを話していたので、自分が加害者になることを1%も考えていないことにとても違和感を感じたのだった。
この話はどうしても誰かに共感してほしくていろんな人に話したが、総じてなにを言っているんだ?というような反応であった。
小学生の時にも私以外の全員が同じ答えを選んでいたのに私だけが違う答えを選んでいて、どうしても理解が出来ないことがあったのを思い出した。
同じ世界に生きていると思っていたのに、急に一人にされたような、そんな気持ちだった。


私は私が思っているよりもずっとさみしい人間だと思う。
誰よりもさみしいから音楽を心の拠り所にするしか生きる術がなかったし、きっとこれからもそうだろう。
いくら抱きしめられても、好きだといわれても、絶対に満ちることのない心のスペースがあって、満たされることなどないとわかっていても、満たされたいという気持ちを捨てることができない。
だからこそ人に会うのだし、人と仲良くなりたいと思ってしまう。

ただ、仲良くなってもその人に対して誠実であり続けることはむずかしい。
私はどうしても状況を俯瞰してみてしまう癖があって、一般的には眉をひそめられるようなことでさえ、こんなこと宇宙と地球の歴史からすればなんて些末なことなのだろう、などと心のどこかで思ってしまって、乱暴な言い方をすれば自分がそれに納得していればなんでもいいと思っていた。
でも、それを維持するのもついにできなくなった。
自分で自分のことを大切にできていない、ということに気づいてしまったからだ。
その時の自分は納得していても、一番傷つけてはいけない部分がじわじわと冷たくなっていく感覚があった。
それをただ眺めていることに耐えられなくなって、社会的に「真っ当」な選択をすることになった。

これでよかったのだと思う。
こうするしか、私が私を大切にできる方法がなかった。
そして何より、他の誰かを傷つけないでいられなかったと思う。
自分が一番よく理解しているはずなのに、感情だけが置いてけぼりとなってしまって、新宿の駅や見知らぬ街を走るバスの中でなんとなく思い出したりしてしまってどうしようもないのでこうして文章を書いている。

傍から見ると抽象的すぎてよくわからない話も自然にできることが嬉しかった。
他の人には共感してもらえなかった新幹線の話をわかってくれたことが嬉しかった。

見えない分岐点がたくさんあった中でたどり着いたのがこういう結果で、果たしてこれは正解だったのか、正直まだわからない。
ただ今は、これまでむずかしい、と思ってきたことに対して、できないことも頑張ってやってみようと思ってるというところである。

漠然としたことしか書けなくてよくわからない内容になってしまった、反省。
また今度音楽の話でも書きます。