よろしくおねがいします

新幹線の話

前に新幹線で殺傷事件が起きたとき、とてもこわかった。
それは自分が新幹線に乗った時にそういう人と出会うかもしれない、というこわさではなくて、自分も自分の意識がないところで、もしかしたらそういうことをしてしまうかもしれない、と思ったからだ。

別に意識がなくなる持病を持っているとか、殺傷願望があるとか、そういうことではない。
自分がいつそういう風になるかもわからないし、確かなことなんて何もないから、その頼りなさに恐れを感じていた。
一方当時の周りの人たちはみな、自分が被害者になったら、ということばかりを話していたので、自分が加害者になることを1%も考えていないことにとても違和感を感じたのだった。
この話はどうしても誰かに共感してほしくていろんな人に話したが、総じてなにを言っているんだ?というような反応であった。
小学生の時にも私以外の全員が同じ答えを選んでいたのに私だけが違う答えを選んでいて、どうしても理解が出来ないことがあったのを思い出した。
同じ世界に生きていると思っていたのに、急に一人にされたような、そんな気持ちだった。


私は私が思っているよりもずっとさみしい人間だと思う。
誰よりもさみしいから音楽を心の拠り所にするしか生きる術がなかったし、きっとこれからもそうだろう。
いくら抱きしめられても、好きだといわれても、絶対に満ちることのない心のスペースがあって、満たされることなどないとわかっていても、満たされたいという気持ちを捨てることができない。
だからこそ人に会うのだし、人と仲良くなりたいと思ってしまう。

ただ、仲良くなってもその人に対して誠実であり続けることはむずかしい。
私はどうしても状況を俯瞰してみてしまう癖があって、一般的には眉をひそめられるようなことでさえ、こんなこと宇宙と地球の歴史からすればなんて些末なことなのだろう、などと心のどこかで思ってしまって、乱暴な言い方をすれば自分がそれに納得していればなんでもいいと思っていた。
でも、それを維持するのもついにできなくなった。
自分で自分のことを大切にできていない、ということに気づいてしまったからだ。
その時の自分は納得していても、一番傷つけてはいけない部分がじわじわと冷たくなっていく感覚があった。
それをただ眺めていることに耐えられなくなって、社会的に「真っ当」な選択をすることになった。

これでよかったのだと思う。
こうするしか、私が私を大切にできる方法がなかった。
そして何より、他の誰かを傷つけないでいられなかったと思う。
自分が一番よく理解しているはずなのに、感情だけが置いてけぼりとなってしまって、新宿の駅や見知らぬ街を走るバスの中でなんとなく思い出したりしてしまってどうしようもないのでこうして文章を書いている。

傍から見ると抽象的すぎてよくわからない話も自然にできることが嬉しかった。
他の人には共感してもらえなかった新幹線の話をわかってくれたことが嬉しかった。

見えない分岐点がたくさんあった中でたどり着いたのがこういう結果で、果たしてこれは正解だったのか、正直まだわからない。
ただ今は、これまでむずかしい、と思ってきたことに対して、できないことも頑張ってやってみようと思ってるというところである。

漠然としたことしか書けなくてよくわからない内容になってしまった、反省。
また今度音楽の話でも書きます。

だから私はあなたを想っている

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あっという間に季節が巡ってしまった。

好きな音楽を聴いたり、好きな人に会ったりしているとすぐに時間が過ぎる。

毎日あれこれと色んなことを考えているはずなのに、いざ振り返ろうとすると何を考えていたのか思い出せない。

きちんと言葉にしたいな、と思いながらもなかなかできていないことがあって、それはまた別の形で、今年中には、と思っているけれど、今日はどうしても書きたいことができたのでこうして久しぶりに書いている。

 

橋本絵莉子さんのソロのデモCDが今日、わたしの家に届いた。

オンライン限定で500セットのみ発売され、即完してしまった限定セット。

橋本さんがスタンプを手押ししたジャケットのデモCDに、ロンT、橋本さんのサイン、ぷらいば誌というチャットモンチーが完結して以降の日記、ぷらいば誌(秀逸だし、橋本さんらしさが全開である)が特製の巾着に入ったセット。

 

完結して以降、橋本さんがどこで何をしているのかが全然わからなかったので、去年の7月から今年の8月までの日記が綴られたぷらいば誌を読んで、わたしが過ごしてきたこの1年を橋本さんはこんな風にすごしてきたんだなあと、文字を追っているだけでなぜかぼろぼろ泣いてしまった。

完結してから、橋本さんがこうして音楽に向き合うようになるまでの過程がなんとなくわかったことも嬉しかったし、橋本さんもわたしと同じような日常と、ここに至るまでの非日常を過ごしてきたんだなということがわかったことも嬉しかった。

 

最近のわたしは、皆が知っている通り、カネコアヤノに夢中だけれど、彼女への気持ちと橋本さんへの気持ちは根本が異なっている。

カネコさんへの気持ちが恋ならば、橋本さんへの気持ちは愛だ(カネコさんへの気持ちもいずれ成熟して、愛になる予感がしているけれど)。

わたしは恋人や好きな人ができても、ずっとその人のことを好きでい続ける自信がまるでない。だからどこか俯瞰したような目線で捉えてしまうことがあるし、それ故に自分本位な行動を取ってしまうこともある。

恋の輝きは何にも代えがたいけれど、それは儚さや脆さを同時に身に纏っているからだ。些細なことで気持ちは変わるし、昨日の好きは今日の嫌いだ、と常々思っている。そんな前提が自分の中に渦巻いているからなのか、相手もきっとそうだろう、なんてくだらない想像をしてしまう。

だからわたしは愛というものを、言葉では死ぬほど聞いていても、いまひとつ実感することができないでいた。

 

ただ今日、この音楽を聴いて、ああきっと愛とはこの気持ちのことをいうのかもしれない、とぼんやり思った。

その人がただ、生きていてくれるだけで死ぬほど嬉しいこと。その人の言葉の一つひとつが大切で、ぎゅっと抱きしめたくなるようなこと。これからもできるだけ、ずっと傍にい続けたいと思うこと。自分の意思ではどうしようもできないような、好きであるというこの気持ち。

それを実感させてくれる彼女は、やはり人生の師であるし、この上なく大好きな人だ。

 

デモCDには2曲「かえれない」「引っ越し」という曲が入っていて、橋本さんの隠しきれない正直さが滲み出ていて、とても気に入っている。

特に「引っ越し」という曲は、ぷらいば誌にも記載があった通り、実生活で引っ越しをしたことがこの曲を書く大きなきっかけとなったことは間違いないのだけれど、この曲がチャットモンチーから橋本絵莉子への引っ越し、という風にも聴こえて聴くたびに胸がいっぱいになる。

最後の一節、部屋を開ける、と歌詞にはあるのに、あなたを開ける、と歌うところがたまらなく橋本さんで、もうわたしはこの人には敵わない、と思う。

 

橋本さんが生きていてくれて、さらに音楽を届けてくれる、というのはわたしが同じようで違う毎日を過ごしていく理由になる。生活に意味が生まれる。意味が生まれた生活は、意味のないそれよりもどれだけ豊かで、色鮮やかで、美しいものになるだろうか。

私はあなたのことが好きだし、何よりあなたの音楽が好きだし、それはこれからもきっと揺るがないだろう。

今までひとつでも失くせないものってあったかな、と考えてみたけれど、その内の一つは間違いなく、橋本さんと橋本さんの作る音楽だな、と思った。

橋本さん、また音楽をはじめてくれて、こうして聴かせてくれて、本当にありがとう。

Demo Series Vol.2も楽しみにしています。

 

追記

橋本さんのサイン、年女って書いてあって、そうか年女なのかと思う反面、本当にかわいいなこの人は!と思いました。

こぼれる愛 どうかそのままで

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大人になってきているな、と感じる瞬間がある。
今まで嫌いだった食べ物を食べられるようになったとき。一人でタクシーに乗れるようになったとき。友達と人生の核心に迫るような話ができるようになったとき。
けれど一番実感するのは、「これ、高校生のときに聴いたらハマっただろうな」という音楽と出会うときだ。
そう思うということは、いまのわたしでは好きになれない、ということでもある。
なぜなのか、と問われるととても難しいのだけれど、ただ心が動かないという事実だけがそこにある。
サブスクの登場によって、今まででは到底聴けなかった数の音楽と出会えるようになった。
毎週リリースされる聴ききれないほどたくさんの音楽を聴く中で、なるほど世の中にはこんな素敵な音楽があったのか、と感動することもある。けれど、その後に何度も聴くような音楽と出会うことは、これだけ選択肢が多くなったいまだからこそ、とても難しい。

火曜日はカネコアヤノのワンマンショーだった。
彼女の気合いが入っているのはこのライブが発表されたときからひしひしと感じていたし、だからこそものすごく期待していた。
そして当日。わたしが観たのは、その期待を大きく上回る、嘘みたいにカッコよくて、心が震えて、どうしようもなく彼女への愛があふれてしまう演奏だった。

一曲目、「アーケード」のじゃがじゃーん!で幕を開けた瞬間。
カネコアヤノのライブのすごいところは二つあって、その内の一つはこれは良いとか悪いとか、そういうのを考える隙もなく、脳に音と言葉が直撃するところだ。
血が駆け巡るよりも速いスピードで身体の中が音楽でいっぱいになって、スーパーマリオでスターを取ったときみたいな、ああいう無敵な状態になる。これ以上もう何もいらない、これ以上のものはなにもないと、考えるより前に、わかってしまう。もうこれは反射みたいなもので、あのコードを聴いた瞬間に、今までどこにあったんだ、というくらいのエネルギーが自分の中から湧いてきて、ああ、わたしここに生きている!と実感する。
勝負の日にだけしている目元のキラキラメイクがとても似合っていたし、超楽しみにしてたぞ〜!という彼女の気持ちが歌に溢れ出ていて、一曲目の時点で、今日はものすごい夜になることを確信した。

続いて「天使とスーパーカー」や「ロマンス宣言」「とがる」など、これまでのライブでは後半に演奏されることが多かった曲が続き、いつもとは違う攻めに攻めたセットリストにどきどきしていた。

カネコアヤノのライブのすごいところのもう一つは、曲によってその性質が全く違うところだ。東南アジアやインドのタクシーみたいな、ビュンビュンに飛ばしてどこまでも行ってしまえるような曲がある反面、窓の外の生活音しか聞こえないような部屋の片隅で、一対一で静かに向き合うような曲がある。
両極端のようだけれど、どちらも全力でやってくれるから、安心して音に身を委ねることができるのかもしれない。

歌を聴いていて、自分のために歌われている、と感じることはあるだろうか。
わたしはあまりそう感じることはないのだけれど、この日はそう思わざるを得ない、自分のために歌われた歌がそこにあった。
彼女がまっすぐに、音楽に乗せて気持ちを届けてくれているのがとてもよくわかって、その気持ちに応えたくてわたしもまっすぐ彼女の歌を聴いた。
林さんのギターとカネコアヤノの歌のみで構成されていた、「わかりやすい愛 丈夫なからだ」はその中でも顕著な例だったのだけれど、彼女が一つひとつの言葉を大切に届けてくれていることがよくわかったし、あたかも自分一人に話しかけられているような、そんな気持ちになった。
そういう気持ちのやりとりが、きっとあの会場にいた人の分だけあって、だからこそあれだけのライブを作り出せたのだと思う。

その後もMCなしで次々に披露される一曲一曲は、自分の中でどれもとても大切な曲になっていて、どんな音も言葉も、聴き漏らさないよう向き合うことに真剣だった。
周りの人たちも多分同じような気持ちで、各々好きなように楽しみながらも、彼女の歌への愛が溢れていることがとてもよくわかって、嬉しい気持ちになった。これまで何度もライブに足を運んでいるけれど、「恋しい日々」での " 冷たいレモンと炭酸のやつ! " の合唱は今までで一番だったように思う。

あっという間に迎えた本編最後は、新曲「愛のままを」。今の彼女の心情を如実に表現した曲だ。
歌詞の一節に " みんなには恥ずかしくて言えはしないけど お守りみたいな言葉があって "
" あなたには恥ずかしくて 言えはしないけど お守りみたいだ 振り絞った言葉は "
とあるのだけれど、この歌詞こそがリスナーと彼女の関係性を象徴しているように思う。
彼女にとって、リスナーは「みんな」ではなく、「あなた」であり、対大勢に歌っているのではなく、あくまで対個人に歌っている。
そして彼女が聴かせてくれるのは、恥ずかしくて、普段であれば人には言えないような、ありのままの言葉だ。
人に伝える、という恥ずかしさを乗り越えて、まっすぐ目を見て歌ってくれるから、リスナーも同じように自分の気持ちをさらけ出すことができるし、普段着ている社会性だとか同調性だとか、そういう重たい鎧を自然と脱いで、裸の心で向き合うことができる。
" できるだけ 愛のままを返すね " と歌う彼女の顔があまりに切実で、大好きな人からラヴ・レターを貰えたような気持ちになり、胸がいっぱいになるってこういうことなんだ、と滲む視界の中実感した。

アンコールは「さよーならあなた」で、それが終わっても冷めやらぬ客席にダブルアンコールとして出てきてくれたけれど、もうやることがないと言って挨拶がてらピックをたくさん投げていた。
やることがないということは、今できる全てのことを出し切ったということだから、すごく潔くていいなと思ったし、わたしもこれ以上望むものなど何もない、と思った。それくらい、全部を見せてくれたし届けてくれたと思う。


これから先、嬉しいことも、楽しいことも、このまま時が止まればいいのになあ、と思うことはたくさんあるだろう。
その反対に、あまり起きないことを祈るけど、かなしいことやムカつくこと、やりきれないこともきっとたくさんあるだろう。
そういう、ほんの少し、頑張らないといけないとき。
そういうときに、大丈夫、やっていける、と思えるような、味方になってくれる音楽を自分の中に持っていること。
そういうお守りみたいな存在があるだけで、案外やっていけたりするものなのかな、と最近思っている。

「朝になって夢からさめて」という曲の一節に、
" あなたと出会ってしまったね "という歌詞がある。
これだけのたくさんの音楽で溢れている今、あなたと出会ってしまったこと。
同じ時代を生き、こうしてライブに足を運ぶことができること。
わたしはあなたと出会えて、そして、大人になって好きになれるものが減ってしまった今、ここまで大好きになれたことが、何よりとても嬉しい。
そしてこういうとんでもなく最高の一日があるからこそ、なんでもない日々を生きていく意味を見出せるのだと思う。

カネコアヤノさん、そして最高のバンドメンバーの皆様。
素晴らしく確信的な夜を、ありがとうございました。
この原石は、どこまでビカビカに光るだろうか。
これから先、もっとものすごい景色を一緒に見ることを楽しみにしています。


追記
曲順はかなりあいまいですが、当日のセットリストをプレイリストにしました。
(+でサブスクには上がっていませんが「春」、「どこかちょっと」、「布と皮膚」、「明け方」を演奏しておりました)
よろしければ是非。
open.spotify.com

21世紀の女の子として生きるために。

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「21世紀の女の子」という映画を観た。
15編のショートフィルムが1作品になった、いまを生きる女の子のためにつくられた映画だ。
この映画を観て考えることがあまりに多かったので、ここではそのことをきちんと書き記そうと思う。


私が故郷である群馬県高崎市を離れ、星のない街に降りて今度の春で丸7年が経つ。
群馬に住んでいた頃は、群馬のことが嫌いで嫌いで仕方なかった。早く東京に行きたい、東京で暮らしたいとばかり思っていた。片道2時間かけてたまに遊びに行く東京は、地元の何百倍も輝いていて楽しくて、わたしが欲しい何もかもがあるような気がしていたからだ。
けれど、この年末年始に帰省をしてようやく気づいたのは、わたしはこの街が嫌いだったのではない、ということだ。夏は暑く冬は寒い土地だったけれど、それなりのインフラは整っていたし、住むには困らない街だった。では何が嫌だったのか。

それは、「田舎を田舎たらしめている思想」だ。
東京の私立大学に進学したい、と話したら、女なのだから地元の短大でも行けばいいだろうと言われたことは死んでも忘れない。稼いでいる人が一番えらいとか、女は夫を支えて当たり前だとか、女に学歴は必要ないとか、そういう前時代的な思想が確かにそこにあって、わたしは大きく戸惑った。学校で教えられてきたことと、目の前の現実が大きくかけ離れすぎていたからだ。いまはそういう時代ではないことをいくら伝えても、分かり合えない壁が確かにそこにはあって、同じ言語を話しているはずなのに何を話しているのかわからなかった。「男女共同参画社会」や「男女平等」という言葉は机上の空論でしかなく、なんだかばかみたいだと思ったし、こんな悩みを抱える必要すらなかった兄のことを、少し恨めしく思ったりもした。

悔しくて悔しくて、たくさん勉強して東京の名門と呼ばれる私立大学に合格した。すると手のひらを返したように、褒めたり近所の人に自慢したりして、顔もよく知らないおじさんに受かったんだって?なんて話しかけられたりして、この茶番はなんなのだろうと思った。皆が皆の事情を知っているのが当たり前であること、肩書きや見栄が何よりも大切なこと。田舎を田舎にしているのは、都心からの距離ではなく、そこに暮らす人々の間に深く根付いている思想なのだと気づいた。

東京に行ったら、なにか変わるかな。
淡い期待を持って上京したけれど、大学ではまた別の違和感に悩まされることとなった。
「一女」は価値の高いブランドとして必要以上にもてはやされる一方、たった3年しか変わらないのに「四女」になれば屍と揶揄され、無下に扱われること。皆お互いにこんな枠組みに押し込め合っていて、息苦しくないのかなとぼんやり思っていた。
大学を出て会社に入ると、先輩や上司は男性と対等の立場で接してくれた。けれど飲み会や得意先への接待は、「女子」であることを求められることが多く、媚びざるを得ない自分の立場にやりきれなさを感じることもあった。仕事を辞めることを報告したときに、にやにやしながら「結婚するの?」「寿退社?」と少なくない人数の人に言われたことは記憶に新しい。

そしていま、わたしは幸いにもそういう生きづらさをあまり感じない環境にいる。けれど、これからもう少し年を重ねたら、きっとまた同じ壁にぶつかることだろう。
いくら男性の育児休暇取得が認められるようになったり、イクメンという言葉が流行ったりしても、いまはまだ育児をするのは基本的には女性の仕事だ。だからいまのキャリアを諦めたくないのであれば、必然的に仕事か家庭、どちらかを選択しなければならない時が来る。そして25歳のいま、その岐路に立たされるのはとても近い未来の話だ。


女の子だからもらえるティッシュ、女の子だから払わなくてもいいお金、女の子だから優先的にもらえるおかし、女の子だから飲まなくてもいいお酒。
わたしがラッキー、と思った裏で、なんでだよ、と思う男の子はどれだけいたことだろう。そして、そのラッキー、の裏で、そんなものではチャラにできるわけがない、踏みにじられた女の子の尊厳や思想はどれだけあったことだろう。

「女の子だから」という自分ではどうしようもできないことで、得をすべきでも損をすべきでもない。それ以外の、「その人自身」という枠組みで判断するべきだし、されるべきだと思う。
だからわたしは、この現状に怒らなければいけない。私が怒るのは、自分のためでもあるけれど、未来の女の子たちのためでもある。何故ならいま、当たり前のように手にできている多くの権利は、これまでたくさんの聡明な女の子たちが、自分たちの不当な扱いに怒ってきてくれた賜物であるからだ。
自分が感じた怒りや悲しみや違和感をぐっと我慢して飲み込むことは簡単だけれど、わたしがそれをしてしまったら、未来の女の子たちにも同じ怒りや悲しみや違和感を感じさせてしまうことになる。
だからわたしは怒る。男の子に生まれてくればよかった、なんて女の子が思わないために。女の子が女の子であることをまっすぐに楽しめるように。

ここまで女の子の話ばかりしてしまったけれど、決して女子優先の社会に、と主張したいわけではない。
わたしが言いたいのは、女の子も、男の子も、そういう枠組みに当てはまらない人も、自分では変えようのない事柄で、無意味に悩んだり憤ったり悲しんだりするべきではない、ということだ。
これからの時代をつくるために、そんなどうでもいいことに頭や時間を使うのはもったいない。それよりももっと、この世界には考えるべきことややるべきことがある。
そして、そういう世界が当たり前となるように行動できるのは、他ならぬ、21世紀を生きているわたしたちである。


いま、やるべきことは何なのか。
このことについて皆が思考を止めず、前に進んでゆける時代になることを祈って。

youtu.be

9 BEST ALBUMS OF 2018

2018年が終わりを迎えようとしています。
今年はおそらく一番音楽に触れた年になったのではないかな。
CD、レコード、ストリーミングなど様々な手段で音楽を聴いたしライブにも計61本行きました。
そんな中で、今年とても気に入って聴いたアルバム9枚を紹介します。(順不同です!)

カネコアヤノ/祝祭

このアルバム、そしてカネコアヤノなくして今年のわたしはありません。
彼女の言葉が持つ力、そしてその類稀なる歌声。年々好きになれるものが減っていく中で、こんなにも好きになれたことが嬉しかった。
今年観たライブのうち、なんと11本はカネコアヤノのライブ!弾き語りもバンドも、それぞれの良さがあって何度観ても恋に落ちます。来年も引き続き、応援していきたいです。
そして最高のアルバム祝祭は、もうとにかく聴いてくれとしか言いようがないです。
このアルバムの良さは別途書いたので良かったら参照してください。

「祝祭」と駆け抜けた夏 -

カネコアヤノ - 祝日 - YouTube

折坂悠太/平成

これも初めて聴いた時の衝撃がすごかった。
これまでの時代がつくってきた音楽を土台としつつ、軽やかな、時にずっしりとしたビートに乗る日本語があまりにしなやかで美しいです。踊るように、燃え上がるように、静かな炎が胸いっぱいに拡がります。
平成という時代に、このアルバムがこの世に生まれてよかった。これからもずっと聴き続けたい大名盤です。

折坂悠太 - 平成 (Official Music Video) - YouTube

きのこ帝国/タイム・ラプス

このアルバムを聴いて秋の訪れを感じました。どの曲も完成度がとても高くて素晴らしいんだけど、金木犀の夜と夢みる頃を過ぎてもが特に好きです。どこか切ない空気がたちこめるこの時期に、もっと聴きこみたい1枚。
純粋に、佐藤千亜紀さんの歌声が美しすぎて惚れ惚れします。

きのこ帝国-金木犀の夜 - YouTube

くるり/ソングライン

決して派手なアルバムではないけれど、このアルバムを評価せずして2018年の音楽は語れません。
いずれみんな死ぬけれど、音楽や文化や愛はだれかの心のどこかに生き続けていくという事実は、色々あって生きづらい世の中で確かな生きる希望になることを教えてもらいました。
表題曲の一節、"生きて 死ねば それで終わりじゃないでしょう"がこのアルバムの全てだと思います。

くるり - ソングライン - YouTube

Superorganism/Superorganism

スーパーオーガニズム、今年出会えて良かったアーティストの一つです。
こんな風に音楽って作れるのかという新しい発見がありました。サンプリングの仕方がとにかくカッコいい。アルバムを通してキャッチーで聴き心地の良い、捨てどころのない1枚です。

Superorganism - Everybody Wants To Be Famous (Official Video) - YouTube

cero/POLY LIFE MULTI SOUL

ceroの底力を見せつけられた、最高の1枚です。
複雑に入り組むビートの上で、それぞれがそれぞれのやり方で音楽を楽しまざるを得ない。これはなかなか同じように踊ることしかできない現代の音楽シーンへの、一種の挑戦状のようにも思いました。このアルバムによって、私たちは「同じように」から解放された気がします。そんなアルバムを創り上げてしまったcero、本当にすごい!

cero / 魚の骨 鳥の羽根【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube

Paul McCartney/Egypt Station

ポールの良いところがたくさんつまった良作です。76歳にしてこのアルバムを創れるポールのバイタリティとユーモア、第一線で活躍し続けたポールにしかつくれない音楽。日本語で「イチバン!」を連呼しているback in Brazilがとても好きだけど、なんでライブでやってくれなかったんだろうな〜。笑

Paul McCartney - 'Come On To Me (Lyric Video)' - YouTube

ザ・クロマニヨンズ /虹雷

クロマニヨンズは毎年アルバムをリリースしてツアーをして、という新人バンドでもなかなかできないことをやり続けている最強バンドなのだけれど、今作はわたしの中に眠っていた情熱が呼び起こされたような、とてとまっすぐなロックンロールで気に入って聴いていました。ヒロトマーシー、ずっとカッコいいんだけど今が一番カッコいいです。特に気に入っているラスト曲、"GIGS(宇宙で一番スゲエ夜)"。タイトルからして最高でしょう!

ザ・クロマニヨンズ 『生きる』 - YouTube

星野源/POP VIRUS

源さんが前作から取り組んできた日本人にしかできないイエローミュージックの集大成。前作よりも彼のルーツとなっているソウルミュージックの要素が強く、ちょっとオトナな雰囲気。ポップソングとしても聴きやすい一方、音楽が好きな人が聴いても楽しめる、文句なしの名盤です。いま日本の音楽シーンのトップにいるのは、間違いなく彼だと思います。
特に表題曲と、ラストのHello Songが素晴らしい!さらに今作よりSTUTSが参加していることによって、アルバム全体が締まっている気がします。
そしてcontinuesでチャットモンチー済の福岡晃子さんが参加しているのもとても嬉しいです。(参加曲がこの曲であることに、自分の中でとても大きな意味を感じています。)

星野源 - Pop Virus【MV】/ Gen Hoshino - Pop Virus - YouTube


以上2018年の9枚でした。
素敵な音楽がたくさんあって選ぶの難しかった!
来年もまた、良い音楽を聴けますように。

どうせ嫌いになんかならないだろ

近頃の風は冷たい。朝、外に出て吸い込む空気も冷え切っていて、呼吸するたびに体温を奪われるような気持ちになる。いつから冬は我が物顔で居座っているのだろう。

寒いのは苦手だ。手足が冷えて仕方がないし、着ても着てもどこか頼りないし、引っ越しの時にこたつを処分してしまったから家にいても大してあたたかくない。

こんな季節に、人生の大きな転機を迎えてしまった。

本当は春とか、そういうぽかぽかした陽気のほうが、はじまり感があったり高揚感があったりしてよかったのかもなあ、と今になって思うけれど、やったこともなかったのでそんなことすらわからなかった。

 

転職を、してみた。

職場に大きな不満があった訳ではない。むしろ、とても恵まれた環境にあったと思っている。上司も優しくサポートしてくれるし、課の人たちは皆おもしろく良い人だったし、自分の都合に合わせて休みも取りやすく、好きな服装で通勤もできた。

営業という仕事は明らかに自分の性格には合っていなかったけれど、親しみをもって接してくれるお客さんは多少なりともいたし、昔から紙が好きだったので印刷物で溢れる社内に居心地の良さも感じていた。

 

そんな日々に終わりを告げよう、と決めたのは7月の終わりのことだった。

敬愛していたバンド、チャットモンチーがその活動に終止符を打ったことが大きなきっかけだった。彼女たちの、最後まで自分たちのやりたいことを追求する姿に感じるものが多すぎたのだ。

彼女たちのキャリアであれば、このままメジャーで活動を続けていくこともできただろう。けれども、彼女たちはそれを望まなかった。音楽に対して、ファンに対して、なにより自分たちに対して、その選択は不誠実だと思ったのだろう。現状を捨てて終わりを選ぶということは、あまりに彼女たちらしい、不器用でかっこいい選択だった。そしてその選択は間違っていなかったと言わんばかりに、ステージ上では最後まで、これまで見たことのないチャットモンチーを更新し続けた。

彼女たちにそんな生き様を間近で見せられて、何も考えない訳にはいかなかった。生きる、とはどういうことなのだろう。働く、とはどういうことなのだろう。果たして自分は、彼女たちのように懸命に生きているといえるだろうか。

答えはもう明らかだった。私はただ居心地の良いぬるま湯に浸かっているだけで、本当にやりたいことは出来ていなかった。

 

私は音楽が好きだ。どうしてこんなに好きなのかはわからない。

けれど、坂元裕二の言葉を借りれば、好きだということを忘れるくらいずっと好きだ。音楽とは「出会ってしまった」から、もう引き返せない。これまでも、これからも、ずっと音楽のことは好きだし、それは人生最後の日まで変わることはないだろう。だとしたら。

労働、という人生の中で多くの時間を費やすものを、音楽のためにするべきではないか。音楽がより多くの人の耳に届くよう、誰かが大切な一曲と出会えるよう、限りあるこの時間を使うべきなのではないか。率直にそう思った。

学生時代の就活は、どうにもこうにも苦しい日々だった。

同じ国で同じように暮らしてきた同年代の人たちとどうやって差別化したらいいのかわからなかったし、周りの友人たちのように要領良く、こういうものだと割り切ってこなすことができなかった。

音楽のことも当時から好きだったが、仕事にして音楽のことを嫌いになってしまったらどうしよう、という漠然とした不安があった。そして、今でこそ音楽を他の同年代よりも知っているし好きであるという自負があるが、当時はそこに対しても自信がもてず、自分よりも音楽が好きで詳しい人がたくさんいる気がしてならなかった。端的に言えば、音楽を仕事にする覚悟が足りなかった。

けれど今回は、自分の気持ちを正直に話して、一緒に働きたいと思ってもらえる人たちと働きたいと思ったし、それでだめならまた考えればいいかと気軽な気持ちで、ちょうど求人していたレコード会社に応募した。自分の大好きなアーティストが多く所属していて、好感を持っていたレコード会社だった。

面接では緊張こそしたものの、ありのままを話すことが出来た。面接官の方がとても面白がってくれて、そこからトントン拍子に話が進み、9月の中頃には内定をもらうことができた。

直属の上司には、内定をもらったその日に退職する旨を伝えた。ちょうど人が足りない時期だったので、こんなタイミングで言い出すことに申し訳なさがあったし、正直とても怒られると思って恐る恐る申し出た。すると、始めは戸惑いこそあったものの、どうして辞めようと思ったかを説明すると、怒られるどころか応援するよと言ってくれた。俺はいつだって私の味方だ、と言ってくれた。その言葉が本当に嬉しくて、ありがたかった。(この感謝の気持ちは、きっとこれからも忘れないだろう。)

ずっとお世話になっていた先輩や上司にも伝えたが、反対したり嫌な顔をしたりする人は誰もいなかった。みんな応援する、と言ってくれて、それだけでこの会社でこの人たちと出会えてよかったなと思った。

そこからの引継ぎ、有休消化(を兼ねての海外一人旅をした。この旅についてはまたの機会に)はあっという間で、あれよあれよと時は過ぎ、先週からついに新たな職場で働いている。

まだ右も左もわからないし、同じ部署の人の名前すら覚えられていないけれど、飛び交う情報や仕事を目の当たりにし、音楽をつくる現場に来たことを実感している。

これからどうなるのか、何ができるのか。

何もわからないけれどとりあえずワクワクしていることだけは確かだ。

この寒い冬に、新しい人たちと、新しい仕事と、新しい通勤路と。

新たな人生の一歩を踏み出したからにはがんばりたいし、応援してもらえたら嬉しい。

よろしくお願いします。

 

あとがき

ここまでの道のり、ひとりでは無理なことばかりでした。自分のことのように応援してくれた友人・先輩に大きな感謝を。ありがとう!

 そして新たな一歩を踏み出すきっかけをくれたチャットモンチー済のお二人、本当にありがとうございました。

いつかお二人とお仕事が出来るように、一歩ずつ前に進みます。

「祝祭」と駆け抜けた夏

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平成が終わる。
わたしは平成5年生まれなので、生まれてこの方、時代はずっと平成だった。
だから昭和とか大正とか、そういう時代があったことは知っているけれどそれがどんなものであったのかはよく知らない。

西暦が世界のスタンダードである中、日本でしか通用しないこの元号の括りになど、もはや囚われる意味はないのかもしれない。
けれど、何をするにも「平成最後の夏」が脳裏にちらついて、なんとしても良い夏にしなければと、呪縛のようなものにかかっていた。

そんな「平成最後の夏」も、いままさに終わりを迎えようとしている。
窓を開けると入ってくる涼しい夜風や、スーパーに並ぶ赤や茶の色をしたビールやお菓子や、なんだか似合わなくなってしまった鮮やかな水色の洋服が、秋の訪れをわたしに知らせる。


この夏を振り返ると、本当に色々なことがあった。
瀬戸内海の島々の一人旅、大好きでたまらないバンドの完結、フジロック、高円寺の阿波踊り、キャンプ。どれも思い出すときらきら輝く思い出ばかりで、いつもの夏よりも特別を感じる瞬間ばかりだった。

ただ、こうした特別な思い出は、なんでもない日々の生活が存在するからこそ、特別になるように思う。勝者が存在するために敗者が必要であるように、特別が特別であるためには、なんでもない日常が必要なのだ。

そしてそんな「平成最後の夏」の日常を彩ってくれたのは、他でもない、カネコアヤノの「祝祭」だった。


わたしはこのアルバムのことを、猛烈に気に入っている。
どのくらい気に入っているかというと、全曲何も見ずとも歌えるくらいには聴き込んでいるし、カネコアヤノのライブには今年どのアーティストよりも足を運んでいる。
8月に発売された弾き語りアルバム「祝祭 ひとりでに」も毎日のように(しかも1日3周くらいしている)聴いては楽しんでいるし、昨日発売のLPももちろん手に入れた。


なんでこんなに好きになってしまったのだろうか。

ちょっと考えてみたけれど一言では表現出来ないので、1曲ずつ好きなところを挙げてみようと思う。


1.Home Alone

アルバムの最初を飾る1曲。
高円寺に越してきて、暮らしにもようやく慣れてきた頃に聴いたのでなんだか自分の歌のように思えてしまった。
何度かバンドセットで見ているけれど、‟傘がいるらしいけど~”のあとのベースがギュンギュン(この擬音が一番正しいと思う)すぎて毎回笑ってしまう。とても良い。
それと歌詞に出てくる「かくしんてき」という言葉、ずっと「革新的」だと思っていたけれど歌詞カードを眺めたら「確信的」だった。
なるほど、これからまた違った聴き方が出来てしまうなあ。


カネコアヤノ - Home Alone


2.恋しい日々
無条件にアドレナリンの出る曲。最初の勢いの良いギターのリフからして気に入っている。
瀬戸内海の島で一人この曲を歌いながら自転車に乗ったこと、きっと忘れないだろう。
歌を歌うとか、洗濯物を入れるとか、目覚ましをかけるとか、日常の些細な動作一つひとつが、恋しい日々を作り出しているのだなと思った。
それからただ脳内で歌いたいがために、‟冷たいレモンと炭酸のやつ”をこの夏はたくさん買ってしまったけれど、どれもおいしかったな。


DRIP TOKYO #2 カネコアヤノ
※1曲目が恋しい日々。


3.エメラルド

‟朝はエメラルド”というはじまりからして、名曲に決まっている。こんな表現、思いつかないのでちょっと嫉妬してしまう。
‟クローゼットの中で一番気に入っているワンピース着ていくね”という歌詞も、これ以上に好きだという気持ちを婉曲に伝える方法があるのかなあ、というくらいピタっとくる言葉。
グロッケンの音も軽やかで、朝に聴くとそれだけで世界がちょっときらきらする不思議。


4.ごあいさつ

‟今となりの君のまつげがおちるのを 見逃さなかったよ”という少し得意気な歌詞がかわいい。
(歌詞カードをよく見たら、最初のフレーズはおちるなのに最後のフレーズは落ちると漢字表記になっていた。なにか意図があるのかな。)
未来も過去もなんだかどうでもよくて、今この瞬間、君がとなりにいることが幸せだという歌。救いや愛を信じて、楽しく生きていたい、とわたしも思う。


5.ジェットコースター

アルバムを通して、1番といっていいくらいお気に入りの曲。
ライブでの手の動きを見て覚えて、家で何度も歌った。
君の寝息が聞けたり、君が笑ってくれたりするだけで、そんなによく思っていないこの街のことも好きになれてしまうなんて、恋の持つ力はなんと大きいのだろう。
君さえいれば、住んでいる場所がどんなとか関係なくて、ただそれだけでいい。そんな赤裸々でまっすぐな気持ちが、心にすっと染み渡る名曲。


6.序章

ジェットコースターからの流れがとても心地よくて、私の中ではこの2曲はなんとなく1セットだ。
どちらの曲の根底にもあるのが君(あなた)への好きだという気持ちなのだけれど、序章のほうがなんというか、もっと気持ちが全面に出ている気がする。
‟知識が増えるほど あなたと暮らしてみたいと景色を眺めてしまう”だなんて、言葉にすると照れくさいようなこともまっすぐ歌っていて気持ちがいい。
あとこれは完全に個人的な思い出だけれど、高校生の頃に自転車通学をしていて、学校の先生に理不尽な怒られ方をしたのが未だに忘れられないから、‟無性に腹がたって涙がでてきた”という歌詞に心底共感してしまうわたしがいる。

 
7.ロマンス宣言

この曲だけなんだか歌謡曲っぽい雰囲気になっている不思議。畳み掛けるように矢継ぎ早に出てくる言葉が心地よい。
歌詞に‟謝りたくない”というフレーズがあるのだけれど、バンドセットのときには「あやまりたくな~~~い!!」と絶叫するのが好きだ。
わたしも‟そろそろロマンスどうにかしなくちゃ”。


8.ゆくえ

アルバムの中で唯一、コード進行なのかメロディなのかわからないけれど陰を感じる曲。‟今まで ほんとうこわかったよね”の一言だけで、抱きしめられているような気持ちになる。


9.サマーバケーション

”全員きれいに同じ顔して返事しやがって”という歌詞がとても好きなのだけれど、先日柴田聡子のライブを観ていて、「リスが来た」という曲の‟ダイエットしながら太ってんじゃねー!!”という歌詞に、なんだか同じ理不尽さを感じて、どちらの曲もさらに好きになった。
それから、‟夏が終わる頃には全部がよくなる”という言葉に、ずいぶんと励まされたな。祈りのようなものだったけれど、だんだんそれが現実味を帯びてきて、なるほど祈りも信じると毎日が楽しくなるなと思った。
後半につれて盛り上がっていく曲展開も、夏のあの感じが音に出ていて、とても気に入っている。


10.カーステレオから

不安に対しての解決法が、おいしいもの食べるとかあいつに電話をかけてみるとか、曲全体に流れる能天気でちょっとバカっぽい空気感がとても良い。
‟いつまでも今が一番いいから”という歌詞に負けないように、今が一番になるように生きなきゃな、と思ったりもする。
「ひとりでに」のアレンジはかなり独特でそれもまた良いんだけれど、曲終わりにちょっとだけ聞こえる「どう?笑」にキュンとする。


11.グレープフルーツ

この曲は、‟恥ずかしいそれはかっこいい”という歌詞が一番好きだ。
文字でも音楽でも絵でもなんでも、何かを表現しようとすることはとても勇気がいるし、自分の一部を晒しだすことはとても恥ずかしい(こんなブログでさえ、書くときは毎回とても悩むし恥ずかしい気持ちにもなる。)けれど、それを乗り越えないとかっこよさは生まれない。
表現することに対して、とても肯定されているような気持ちになった。
‟いまのわたし 甘い砂糖と苦いグレープフルーツみたい”という歌詞も、まさに今のカネコアヤノを象徴しているような、素晴らしい歌詞だと思う。


カネコアヤノ「グレープフルーツ」Music Video


12.アーケード

この曲の勢いとギターがとても好きなので、ライブで毎回のように演奏してくれるのも嬉しい。
‟なんにもないけど この先ずっと 情けないこともゆるしてほしいよ”とか、‟すべてのことに 理由がほしい”とか、ちょっとわがままで自分本位な歌詞もまた好きだ。この曲、ぜひカラオケで歌いたいので早く入らないかなとずっと思っている。


13.祝日

アルバムの最後にして、大名曲。初めてのこの曲を聴いたとき、心が震えるとはこういうことなのかと思った。
この曲の歌詞やメロディはどこを切り取っても好きなのだけれど、中でも特に‟幸せのためなら いくらでもずる賢くいようよ いつまで一人でいる気だよ”というところが気に入っている。他人にやさしくしようとか、そんな歌はたくさんあるけれど、こんなこと、なかなかここまではっきりと歌ってくれる人、他にいないんじゃないかな。
あとこれは自分でこの曲を弾き語りしてみて初めて気づいたことなのだけれど、最後の‟これからの話をしよう 祝日、どこに行きたいだとか”の祝日~と伸ばす部分、曲の中でここでしか出てこないコードが使われていて、確かにそういう視点で聴くとここでぱあっと開ける感じがあり、曲の作りとしても素晴らしいなと思った。
ジャケットにも使われているカネコアヤノの瞳が美しいPVもとても好き。
「祝日」という曲名からして好き。なにもかもが大好き。


カネコアヤノ - 祝日



同じ時代を生きていることをひしと感じることの出来る歌詞やメロディや歌声は、気づけばわたしの生活の一部となり、上品に光るラメみたいにきらきらと日常に溶け込んだ。

発売からこれまで、本当に毎日聴いているけれど、飽きずに毎回楽しめているのは、何よりこのアルバムがいかに素晴らしいかを物語っているように思う。


これから先、きっとこのアルバムを聴くたびに、「祝祭」と共に駆け抜けた平成30年の夏の日々を思い出すだろう。
「平成最後の夏」をいいものにしなくてはならない、という呪縛から解放してくれたこの愛おしい音楽を、わたしは今日も明日も明後日も聴くのだろう。


これからの人生を、この音楽と共に歩めるというだけで、とても頼もしいな。
どこを切り取っても素晴らしい「祝祭」、ぜひ聴いてみてください。